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これからの矯正歯科治療の果たす役割
講師:佐藤 和朗 先生
(岩手医科大学歯学部 口腔保健育成学講座 歯科矯正学分野 教授)
現在我が国では各地域で少子高齢社会が進行し、厚生労働省も団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、将来の医療制度として地域包括ケアシステムの確立に動いております。盛岡市で矯正歯科診療に携わって27年目を迎えますが、この地でも少子高齢化は実感するほどに進んでおります。社会状況が変わって来ている今、私たち矯正歯科を専門とする歯科医師が少子高齢社会において多様化するニーズにどのように答えて行こうと考えているか、患者さんのライフステージ毎に変わる問題点とどのように向き合うか等、私見ではありますが矯正歯科治療の果たす役割について述べさせて頂きたいと思います。
1)岩手県盛岡市はどう変わってきて、これからどうなっていくのか?
私が盛岡に来ました1990年には、矯正歯科の外来は曜日を問わず毎日多くの子供達の受診がありました。この頃の盛岡市の人口統計を見ますと、既に出生人口は減少してきておりましたが、まだまだ若い世代の人口が多かったことが解ります。それと比較して現在の盛岡市の人口を見ると、中高年層人口が増加し、子供たちの数が半数にまで減少しております(図1)。今後もこのような状況が更に進行して人口構成が変化すると予測されますが、地域診療に携わっている先生方からご紹介頂く患者さんの治療内容も変化してきております。
一般的な成長発育期にある患者さんでは、永久歯の先天欠如や永久歯埋伏などの萌出異常を伴うケースの紹介が多く見られるようになりました。また骨格型要因を含む難治症例が増加してきております。一方、中高年齢層で矯正歯科治療を行うケースが徐々に増加してきており、歯周病治療の一環として、または全顎的な補綴治療前の矯正歯科治療など、治療を行う理由も様々な様相を見せております。
2)岩手医科大学附属病院歯科医療センター矯正歯科の変遷
歯科医療センター矯正歯科で治療する不正咬合の患者さんも、時代の移り変わりで変化しております。開設当時から昭和の終わり頃までは、半数以上が下顎前突、反対咬合の患者さんでした。しかし近年になり反対咬合の患者さんの比率は減少し、上顎前突の診断を受ける患者さんの比率が増加してきております。地域の先生方が早期に反対咬合の治療を積極的に行われているか、または過去には上顎前歯の前突は気にならなかったのが、近年では患者さんに認知されてきたのか、この変化の背景は明確ではありませんが、受診する患者さんの不正咬合は変化してきております。そして治療方法も変化してきており、反対咬合の治療といえば、過去にはチンキャップと上顎前方牽引装置が殆どを占めていましたが、近年ではチンキャップの適用頻度は激減し、反対咬合用機能的装置や拡大装置が適用されてきています。これは顎形整力による下顎骨の成長抑制を長期に行うといった治療コンセプトからの決別と言って良いのかもしれません。
そして歯科医療センター矯正歯科が不正咬合の患者さんだけを治療していた時代から、地域で望まれる診療や大学病院全体の中での役割変化から、多様な患者さんが受診する診療科へ変化してきております(図2)。
3)Computer Aided Orthodontics(CAO)について
前述したように、多様化する患者さんの治療に対応するために、より正確な診断と治療計画の立案、そして矯正歯科治療技術のアップデートが必須だと考えられます。その意味では近年のデジタル技術を応用した診断や治療シミュレートは、矯正治療を変える可能性があると考えられます。身近なところではCTやMRですが、萌出異常歯の診断・治療計画や顎変形症患者の治療計画のシミュレーションに有用であることは言うまでもありません(図3、4)。
更に近年では、矯正治療で行われるセットアップモデルの検討にもデジタル技術が導入されてきております(図5)。このように矯正歯科治療へのデジタル技術の応用は、非常に正確・詳細に色々なことができるようになりましたが、これは診断や計画立案が簡単になったと言うことではなく、寧ろアナログの時代には見えなかったことに気付かされる事が多々あり、操作は複雑である上に、治療計画の是非の細部までを見せられる結果になってきています。その意味では患者さんがより質の高い矯正歯科治療を受ける可能性が高くなった一方、私共矯正歯科医は、実際の矯正歯科治療技術に加え、新たにデジタル操作を習得しなければならない時代になってきております。
4)Temporary Anchorage Device (TAD)について
新しい技術の習得はデジタルに限ったことだけでは無く、実際の治療に於いても新技術が導入されてきております。近年薬事認可された歯科矯正用アンカースクリューもその一つです。海外ではTemporary Anchorage Device (TAD)の一般名称が使用されておりますが、これは直径約2mm、長さ4?8mm程度の小さなチタン合金製のスクリューを歯槽骨や口蓋に殖立して、それを矯正治療の固定源にする方法です。歯を喪失した部位から他の歯を引っ張る等のことが可能になりましたが、オールマイティーな補助装置ではないため、適用には細心の注意が必要です。ただし、歯科矯正用アンカースクリューを用いることで、現在では矯正歯科治療における固定源の概念が変わったことは事実と言えます。
5)ライフステージを見据えた矯正治療における長期咬合管理
成長発育期から成人期、高齢期に至るまでの歯列、咬合、顎関係に問題を抱える患者に対し、矯正歯科治療で何を行うかを明確にし、患者の治療を進める必要があると考えます。前述しました様々な矯正治療の新しい技術は、これを実現するための新しいツールであると言えます。
1)乳歯列?混合歯列期:口腔機能の改善
2)乳歯列?混合歯列期:骨格系の早期改善
3)永久歯列期:全顎的歯の再排列
4)永久歯列期後期:機能回復
を行い、健全な口腔環境を生涯維持することを目的として、長期的咬合管理に具体的な方法として矯正歯科治療を提案していきたいと考えております。
舌機能を欠損歯列・顎欠損症例から再考する
講師:武部 純 先生
(愛知学院大学歯学部 有床義歯学講座 教授)
本講演では、”舌機能”をキーワードと致しましたので、初めに嚥下造影検査の動画記録をもとに、正常像の舌・嚥下機能について提示した後に、筋委縮性側索硬化症(ALS;amyotrophic lateral sclerosis)の症例を例に挙げて、舌運動機能の役割について解説致しました。次に、舌欠損を伴う器質性咀嚼障害の症例に対して上下顎に補綴装置と補助装置を装着することにより食塊の咽頭への送り込みが改善された補綴歯科治療例を提示致しました。提示した症例と文献レビューをもとにして咀嚼・嚥下を支える舌機能の重要性について解説致しました。続いて、日常臨床の場においては欠損歯列・顎欠損を伴う症例を経験致しますが、口腔機能の改善・回復を図っていく際には舌運動機能については必ず配慮しておくこと、有床義歯補綴においては症例に応じて舌運動機能の状態を付与するためのワックスによる機能印象を行う必要があること、補綴装置による口腔機能障害改善の意義、パラトグラム法を応用した舌接触補助床(Palatal Augmentation Prosthesis :PAP)の臨床的意義について解説致しました。
1.咀嚼・嚥下を支える舌機能
上下顎の歯列と歯槽部の前方と左右側方部の内側により囲まれた固有口腔に位置する舌は、咀嚼・嚥下機能、コミュニケーションに関わる器官として重要な役割を担っています。上下顎歯列が揃っている状態では、食事時に食物が口腔に入ると、咬断・粉砕・臼磨運動を行い、舌運動とともに食塊が形成され、咽頭へ送り込まれます。しかし、上下顎無歯顎症例の場合はどうでしょうか?上下顎へ有床義歯を装着していない場合には、上下顎顎堤間に舌側縁部が広がった形態を呈し、顎位が不安定(下顎位の保持が不可能)となること、舌骨の低位、喉頭そのものの位置が下垂し低位舌となります。このような状況では、誤嚥を惹起しやすい状態となりますので、有床義歯補綴による補綴歯科治療は重要となります。高齢者では、健常な成人と比較して加齢に伴う筋力低下により生じる筋緊張の低下や靭帯の緩みにより、健常者に比較して喉頭そのものの位置が1椎体程度下垂しているとされています。したがって、高齢者においてはこの変化を喉頭挙上の時間を延長することにより代償しているとされ、代償機能が不十分になると喉頭侵入や誤嚥の危険性が増大することになります。器質性咀嚼障害あるいは運動障害性咀嚼障害を呈する場合には、咀嚼に関与する舌形態や舌運動機能が障害され咀嚼・嚥下機能が低下していることから、歯科補綴的アプローチが必要となります。一方、舌の筋力、咀嚼機能は加齢にともない低下することが近年報告されていることから、咀嚼力に対する適切な評価(咬合支持の状態、咬合力、舌運動・舌圧、食物を認知する能力)が求められてきます。
2.欠損歯列・顎欠損症例からみた舌機能 ―補綴装置による舌機能障害の改善―
1)欠損歯列・顎欠損に対する補綴
有床義歯補綴では、症例に応じて舌運動時の状態を義歯形態へ付与させる必要があります。下顎における欠損歯列・顎欠損の一症例を示します。通法に従って顎欠損部と舌・歯肉頬移行部の可動軟組織に配慮しながら下顎の精密印象採得、作業用模型製作、咬合採得を行い、模型を咬合器へ装着後に支台装置を製作して咬合床へ付与しておきます。嚥下時、構音時、開閉口時、舌の運動状態、リップサポートを義歯形態へ付与させる必要があることから、咬合床の辺縁部、唇・舌側面部へソフトプレートワックスを用いて付与させ、患者さんに舌・頬・唇などの可動軟組織を動かすように指示して機能的な印象採得を行います(図1)。これら一連の操作を行う際には、本症例を例に挙げますと、以下の事項への配慮が重要となります。①支持・把持・維持を考慮に入れて研究用模型上にて設計を行います。②下顎前歯部の欠損歯列・顎欠損部を含む形態、下唇粘膜部と歯肉頬移行部を含む顎堤粘膜の性状と可動軟組織の可動性、開閉口時における下唇部の筋緊張状態、口底部軟組織と舌の可動域における診察・検査を行います。③機能印象を行っていることから、オルタ―ドキャスト法による作業用模型の修正が必要となります。④シリコーンコアを製作して人工歯排列位置に重要なデンチャースペースを確認しておく必要があります(図2)。⑤前歯部欠損歯列による下唇内翻、下唇部の筋緊張が強い場合には、機能運動時における義歯の浮上、離脱を防止し安定を得るためのリップサポートに配慮した形態を付与しておく必要があります(図3)。
2)舌の実質欠損に対する補綴
器質性咀嚼障害や運動障害性咀嚼障害を原因とした舌の機能障害に対しては、一手段として舌接触補助床(Palatal Augmentation Prosthesis :PAP)が適応されます。(一社)日本老年歯科学会と(公社)日本補綴歯科学会合同のガイドライン(平成23年6月)では、舌接触補助床とは、”切除や運動障害を原因とした著しい舌の機能障害により、舌と硬・軟口蓋の接触が得られない患者に対して用いる「上顎義歯の口蓋部を肥厚させた形態の装置」、または「口蓋部分だけの装置」。口蓋の形態を変えることで舌の機能障害を補い、摂食嚥下障害や構音障害の改善を行う。上顎に歯の欠損がある義歯装着者に対しては、義歯の床を舌機能障害に応じて肥厚させて製作する。上顎に歯の欠損がない症例に対しては、口蓋部分を被覆する床を舌機能障害に応じて肥厚させる。”と定義されています。そこで、器質性咀嚼障害の一例を提示致します。症例は舌腫瘍により舌2/3以上を切除後に腹直筋皮弁にて再建がなされていますが、舌の可動性は認められず、摂食嚥下機能は困難状況でした。このような症例では、PAPが適応となります。症例は上下顎無歯顎のため、通法に従ってろう義歯まで製作した後に、上顎口蓋側部にPAPを付与し、パラトグラム法を応用して製作・装着致しました。PAPを付与した場合では、PAPを付与していない場合と比較して、空嚥下時と摂食時では口蓋部では広く残存舌が接触している状態が確認できます(図4)。PAPの有効性が確認できます。一方、口蓋床による装置を適応した症例について提示致します。舌全摘・再建が行われた器質性咀嚼障害の症例となります。上顎口蓋床部にソフトプレートワックスを添加し、舌圧を考慮しながらPAPを製作・装着致しました(図5)。本症例では、舌圧測定機による舌圧を指標とした機能評価を6か月間実施致しました。PAPを装着することで経日的に舌圧が高値を示す一方で、舌への賦活化となりPAP非装着時の舌圧では経時的に値が高まっていることが明らかとなりました。今回、提示しました症例以外におきましても、運動障害性咀嚼障害の分類に含まれる生理的な老化にともなう舌運動機能低下症例においては、舌の運動機能を高める訓練の状況にもよりますが、症例によっては部分床義歯、全部床義歯の口蓋部分にPAPを付与することを考慮する必要があるかと考えています。
この度の歯学部同窓会第52回学術研修会では、講演の機会を賜りまして誠にありがとうございました。心より感謝と御礼を申し上げます。
ランチョンセミナー
抗血栓療法患者の観血的歯科処置に対する注意点
講師:八木 正篤 先生
(岩手県立病院 歯科口腔外科)
2011年までは抗凝固薬といえば、ワルファリンカリウムしかなかったが、現在ではダビガトラン、リバーロキサバン、アピキサバンなどの新規経口抗凝固薬(NOAC)が発売され、その投与頻度は年々増加している。NOACはワルファリンカリウムに比べると相互作用を有する薬剤が少ないこと、食品による影響が少ないこと、脳出血などのリスクが少ないなどの利点がある。また、ワルファリンカリウムのようにPT-INRを測定してモニタリングをする必要がないことも利点の一つであるが、裏を返せば、抗凝固作用の程度を測定する有効な検査がないことが、われわれ歯科医師にとっては観血的処置を行う際の障害となっている。しかし、NOACの多くは半減期が10時間前後とワルファリンカリウムに比べるとかなり短い。したがって、リバーロキサバンのように1日1回投与の場合は抜歯当日の朝だけ休薬してもらい、午前中のうちに抜歯して止血確認後に服用してもらえば、ほとんど休薬せずに抜歯することが可能である。
ワルファリンカリウム服用患者の場合は抜歯前3日以内にPT-INRを測定し、測定値が3.0以下であれば抜歯は可能であるが、それ以上の場合は主治医と相談し、2.5前後にコントロールしてもらうか、ヘパリン置換を行う必要がある。ヘパリン置換は抜歯の5日前から行い、抜歯の4~5時間前に中止して抜歯を行うが、ヘパリンは持続注入するため入院が必要で、どこでも行える処置ではない。
抗血小板薬の場合も、止血の程度を予測する有効な検査はないが、アスピリンの単剤投与であれば、局所止血処置を慎重に行えば、問題なく止血できると思われる。ただ、抗血小板薬を2剤または3剤併用している患者もいるので、その場合は主治医と相談して、1剤に減らしてもらうなどの処置が必要と思われる。実際に2剤併用した患者の抜歯を休薬なしで行った経験があるが、やや止血困難であったものの、翌日には止血した。
いずれにしろ、大切なことは抜歯前によく問診をし、抗凝固薬や抗血小板薬を服用していることを見落とさないことである。
抜歯を行う際には局所止血を入念に行う必要があり、ゼラチンスポンジや酸化セルロースなどの局所止血材を填入して縫合を行い、止血シーネを使用するなどの処置が必要になることが多い。
数種類の抗血栓薬を服用している場合は主治医と相談して減量が可能かどうか相談してみる必要がある。減量が困難な場合はそのまま抜歯をするしかないが、その場合は上述のように厳重な局所止血処置を施すべきである。
「科学的根拠に基づく抗血栓療法患者の抜歯に関するガイドライン 2015年改訂版」が出版されているので参考にしていただきたい。